インフルエンザ

はじめて変調に気づいたのは、新潟県長岡市で、市民生活交流ネットワークさんというNPOの方にお話を聞いているときだった。乾いた咳がいくつか出ていたこと、一方で嫌な予感がしていたことを覚えている。
午前の、この調査終了後、調査員で昼食を取っていたときにはもう「いけない」感じがしていた。
それでも、風邪かと鍋焼きうどんで身体を暖めるつもりが、気分の悪さは続く。午後の調査が16:30からだったことで、いったん宿に戻ったが、もうはかばかしくは動けず、ベッドに横になっていた。
その後、の住民安全ネットワークさんの調査をなんとか終え、夕食を外で食べたときには、いったん立て直せそうな印象もあったが、そのまま恢復の方向は見えなくなり、翌日の単独調査は、ほとんど、やみくもな状態だった。
そういうときに限って、タクシーにコミュニティセンターの行く先を告げるも、まったく異なる高齢者センターで降ろされ、10分以上も、高く積み上がった雪の分けたような、なんとか歩けるだけの幅の踏み固めを進む破目になった。
3日目の行政調査は断念。新幹線を乗り継ぎ、帰宅し、医者でインフルエンザの診断を受ける。
タフミルという特効薬のおかげで、熱は下がったが、結局体調が戻るには1週間を超える期間が必要になった。
そんな2月前半が終わる。

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代々木

代々木あたりのフレッシュネスバーガー。時間待ち、ちょっといい雰囲気
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以下署名なんです

最近、覚えたユニバーサルデザインが「以下署名」。
具体的には下のようなもの。

(以下署名)_______________
河井孝仁 KAWAI Takayoshi
<BZB14506@nifty.ne.jp>
○○機構 ××グループ研究員
個人HP http://homepage3.nifty.com/tacoh/

視覚に障害のある方が読み上げソフトを利用している際に、「以下署名」が出てくる。
既に知っている内容であれば、それ以降は聞く必要がないということになります。
視覚に障害のない人にも、よくわかる。

最近、メーリングリストに書き込まれていて覚えました。
Teruko's Websiteでも紹介されています。
このTeruko's Websiteは、その他にも、いろいろwebのユニバーサルデザインに触れています。

長女がユニバーサルデザインに興味を持っています。
こんなところにも、あるんですね。ユニバーサルデザイン。

皆さんもどうぞ。

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ウギウギでいこう

 ことばと発達の部屋ウギさんが出している個人誌「ウギウギで行こう」に、「ぽろりと一言」という駄文を連載しています。
 こんど、「ウギウギでいこう」1月号が発行され、私の「ぽろり」も掲載されたので、こちらでも紹介します。
 とはいえ、ずいぶん前(昨年)に書いたものなので、もうトウが立ちすぎていて旬の味がしませんが、そこは御寛恕。

 では「ウギウギで行こう」1月号「ぽろりとひとこと」です。

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NHK2題

 先日、NHKのニュースに放映されたことで、今日は茨城県在住の方から職場に電話がかかってきました。
 地域活性化にblogを使いたいとのこと。でも話を聞いていると、単に行政からの情報提供「媒体」が不十分との内容でした。高齢化した過疎地域でも、いまだに回覧板で情報提供しようとするために、車で回覧板を回したり・・・、それもできずに・・・
 ケータイに興味があるとのことだったので、ケータイへのメールマガジンと関連部分だけを見られるような(ケータイ)ホームページで十分に対応可能なのではと意見交換。もちろん、高齢者にケータイでは、そう簡単じゃないでしょうが、例えば「ケータイ講習会」みたいなことをきっかけに、リアルな関係の結い直しもありうるし。
 ということで、宣伝ですが~、と言いつつ、『自治体モバイル戦略』の紹介もしてしまいました。

 もうひとつNHKに関連して、知己の研究者の方が書いているブログで、NHKの自己言及について議論がされています。このあたりは、私もここのところのNHKニュースを見て「おい、おい、おい」と思っていたところ。
 なんか朝日vsNHKに矮小化されちゃっているけど、実のところ、すごいことだと思います。いちいち番組内容について個々の国会議員にお伺いを立てている(それを当然だとNHKの上層部が言う)。それを国民の代表だから当然としてしまう「公共」への認識。

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おはよう日本

 NHK「おはよう日本」で7:55~ ブログのテーマ取材放映が10分弱あったようです。そのなかで、ブログの活用例として「eコミュニティしまだ」が放送されました。先日の交流・講習会の様子。
 私も、ちょっとしゃべっているところが映ったとのこと。
 それを見て、佐賀県の友人がメールを送ってくれたのにはびっくりです。
 いやぁ全国放送の威力ですね。

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博石館

 恵那に出かけた最大の目的は博石館。実際には恵那市ではなく蛭川村にある。子どもたちが「宝石探し体験」をしてみたいとのこと。腰ほどの高さに設えられ、水が湛えられた長い棚がある。そこ堆積した小さな石。そのなかから水を透かして綺麗なものを探し出すという趣向。冬季は温水を利用しているので湯気が立っている。子どもたちは小さな碗とスコップを手に持って、湯のなかを一生懸命に探した。実のところ、堆積のなかと言うより表面にいろいろな美しい石がある。
 自分がこどものころ、空き缶を片手に、家の周囲にあった空き地で、それなりに綺麗な石を探しては集めたことを思い出す。
 子どもたちは、た~くさんの透明や、赤や青や黒く光るものや様々な石を集めては笑顔を見せていた。
 その他にもいろいろ楽しめるところがあり、そういえば綺麗な石が好きだった自分を再発見もして、結構、「○」な施設だった。

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GPSケータイ

 家族旅行の帰り、自宅近くのJR駅についた途端、気がついた。鞄がない。
 荷物が多かったせいで、乗り換える前の列車の網棚に置いてきてしまったようだ。途中で空席を見つけ、席を替わったのが致命的。その列車は既に折り返して、私が乗ってきた駅に戻ろうと走り出し、向かっている。
 さて、どうする。駅の係員の方に忘れ物があることを届ける。主要駅に連絡してくれるとのこと。とはいえ、本当に列車の中だったのか一抹の不安。
 そのとき、鞄にケータイが入っていることに気づく。それもGPSケータイ。さっそく自宅に連絡してPCからケータイの位置を確認してもらう。線路の真上にケータイがある!。よし、列車内だ。
 それならっと、駅から後続列車に飛び乗り、途中、新幹線「ひかり」に乗り換え、在来線を追う。40分後、ひかり号が微妙に先着したところで、列車に乗り移り、鞄を、発見確保。
 途中、何回か、家人にGPSケータイの位置をPCからチェックしてもらい、列車に置かれたままであることを確認。それが、安心につながった。情報の価値といえば、自分の専門につなげすぎではあるが。
 いやぁ、波瀾万丈のGPSケータイであった。

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『半落ち』

 DVDで『半落ち』を見る。しっかりとした映画らしい映画。
 それぞれの人物の背中が十分に想像力を惹くように仕掛けられている。
 寺尾聡も柴田恭兵もその他多くの俳優も、映画のなかの[ことば]として(私は映画を一冊の本とすると、俳優は、そのなかの[ことば]なのだと思っているのだが)有効に生きている。
 期待の地平を築きながら、次への展開を進めていくプロットも確か。静かな印象から、内的・外的葛藤をもちこむ進み行きにも引き込まれた。期待は裏切られなかったと言えるだろう。
 しかし、それは<破れ>が感じられなかったという意味でもある。芸術が日常に裂け目を作るものだとすれば、『半落ち』は日常のなかに、「おさまって」しまった。
 もとより、それは期待するものではなく、『半落ち』の作品としての価値を減ずるものではないだろうが。

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自治体モバイル戦略

 細田大造さんと二人で著した書籍『自治体モバイル戦略』-ケータイがつなぐ人と地域 ユビキタス社会へ向けて- シリーズ《動き出す地域 ユビキタス社会へ》 がインターネットでも購入できるようになりました。出版自体は昨年末なのですが、書店流通やネット購入が可能となるのは結構時間のかかるものらしい。
 また、Amazon以外にも、連れ合いがアフィリエイトをしているbk1など、幾つかのネット書店があるんですが、それぞれに扱いが違うのも面白い。なんといってもbk1では扱っていません(T_T)
 そういえば一つ発見。Amazon(それ以外のネット書店も)は当初、書名副題とシリーズ名について、「地域」と「ユビキタス」の間のスペースがなく、一見「地域ユビキタス」なんという新しい概念提示を勝手にやっていました^^;。
 ところが、Amazonには、「間違いがあったら連絡してください」というボタンがあり、そこから訂正依頼のメールが出せる。私が誤りを指摘するメールを出し、しばらくして気がつくと、途中にスペースが入って正しくなっていました。
 こんなサービスもやっているんですね。
 内容については、全4章のうち、第2章及び第3章を私が執筆。静岡県のケータイをめぐる政策展開を<ネットでつなぐ><世代をつなぐ><NPOと企業をつなぐ><障害の有無をつなぐ>という視点から主に書いたりしています。
 興味がありましたら下記からご注文を。
 ただ、1260円という価格はAmazonでは送料無料にならないんですね。他の本と併せて買うか。クロネコヤマトのネット書店では送料無料みたいです。
 以上、宣伝も兼ねて。^^;

 Amazon、なんと発送が4~6週間。こりゃ厳しいね。
 楽天、こちらは1~15日間の発送、やはり送料は無料になりません。
 e-hon、これってリアルな書籍店の連合サイトなのかな?
 クロネコヤマトのブックサービス、送料無料ですね(^o^)。2~14日以内発送。しかしこのサイトはトップページからしか入れないそうで、直リンクは蹴られてしまいました。「自治体モバイル」とでも検索してみてください。出てきます。
 静岡県での書店「谷島屋」さんには、店内在庫もあるみたいです。こちらもトップページにしかリンクできませんので、検索が必要です。

 いやいや、自分のことなのでいろいろ調べて勉強になりました。

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秘かなカレー店

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 一昨日、職場の近くで秘かなカレー店を発見。店を切り盛りしているのは、私よりずいぶん年上の女性がひとり。常連客の方々も同じくらいの年かな。スリランカでカレーを修めてきたとのこと。
 と、いうと洒落っ気が強い、趣味系の店かと思われるかも。

 しかし、これが、わざとらしさがまったくない。けっしてチェーンではない、昔(むか~し)からあるような居酒屋から脂っけを抜いたような店の雰囲気。店主も割烹着のような格好で、5人も並べばいっぱいのカウンターから入ったり出たりしながら、客としゃべっている。
 店はそう儲けようってわけじゃないらしく、簡単には見つからない風情の外観。

 カレーはタイカレー(確かスリランカ修行のはずだが?)、トマトカレー、野菜カレー。バターも小麦粉も使わず、さっぱりした、スープ系のカレー。一見さんには、この3種をあわせたミックスカレーを勧めてくれる。これにサラダと小皿(煮物が多い。牛蒡と蒟蒻とか。…これが、味がしっかりしている。)、コーヒー。ご飯はお代わり自由で。ルーは、例のステンレスで取ってのついた魔法のランプみたいな形をしたカレー入れ(名前不明)に入っている。

 味は優しい。とても「まるい」感じ。するすると食べてしまう。飽きない味。今日で三日続けて食べてしまいました。

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市民社会のお膳立て

tankさんからトラックバックもらいました。(^o^)/
で、tankさんは
>「官」あるいは統治機構 (中略)がいつの間にか、人間(市民?)と対立的な存在に転化していく。
と書かれています。

でも、これって、いくつかオブジェクション
まず、官と統治機構って違うんじゃないかなぁ。横並びにしちゃうところから、議論が逸れるような。
統治機構ってつまり、ガバナンスのシステムってことだと思うんだけど。

ということなら、市民社会の統治機構は、市民を主人公にして、代理人の行政(官)と非営利組織と企業が評価したり、競争したり、負託したりして、できていると思う (こんなことばっかり言っているんだけど ^^;)

で、そうなれば、官は市民と「対立」ではなくて、官がアカウンタビリティを十分に果たしていないってだけなんじゃない?
官と市民を同じ資格の主体と並べるから、「対立」構造みたいな整理の仕方になる。新聞なんかもよくあるけど。

「対立」なんて立派なことじゃなくて、単に「官」がよく働いているか、働いていないかに過ぎないとも思う。

働いていないのに費用(=税)を徴収し、説明ないところに権限なしにも関わらず偽装した権限によって、本来の主人である市民に制約を加える

一方で、市民=主人の側も、代理人=官が「自分だけの」代理人だと勘違いするところから、いささかいかがかという行動に出ることもあり。

ということで、tankさんの
> 役所(官)がお膳立てする市民社会って、理屈として成立するんだろうか?
には、「お膳立て」って言葉のバイアスに気をつける必要があるけど
十分あるでしょ。

さっきまでの意見で、市民社会によって官が「お膳立て」されていることは明確だと思うけど、一方で官が市民社会の一角を担うことも、その帰結。

非営利組織がお膳立てする市民社会(の部分)もあるし。
企業がお膳立てする市民社会(の部分)もあるし。
市民自体がお膳立てする市民社会もある。
で、官がお膳立てする市民社会(の部分)もある。

そのお膳立てが、多様な意味で上手なのか下手なのかによって、選ばれたり、選ばれなかったりする。
非営利組織・企業・官の間での選択もあるし。たとえば官内部の選択もある。(具体的には首長の選挙、この線で考えられないかな)

お膳立てという言葉からはプラットフォームという考え方も導けるよね。プラットフォームは、共通言語と信頼感と参加の誘引を備えた場所。
どの「代理人」が、市民社会のプラットフォームを作れるのか。

もちろん、セクターという言葉を使えば、官のもつ正統化機能を見過ごしてはいけないけど、その他の代理人だってそれぞれにプラットフォームを作れると思う。官も「ひとつ」だけじゃないんだし。(このあたりは、ローカルマニフェストの議論にもつながるかな)

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趙紫陽

 趙紫陽氏が死去した。天安門広場で学生の間を歩きながら耳を傾け、言葉を交わしている姿をニュースであらためて見て、当時の感覚を思い出す。
 天安門広場に誘われた思いは韓国光州につながり、サンチアゴにも思いが至る。
 もとより、当時に比べ、一方的な善悪の弁別を言いつつ、「この世望んで走るほど心の荷物は軽くない」だろうが、「この世見据えて笑うほど、冷たい悟りもまだ持てず」(中島みゆき)というのも確か。

 中国ラジオ・テレビでは趙紫陽氏の死去は伝えられていない。
 一月一七日。阪神淡路震災から十年。

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コミュニティと参加の障壁

 「tankのうろうろブログ」で、
 > 「参加の障壁」が場の共有感というか、仲間意識を醸成し、コミュニティとしての一体感を高め、一種の安全・安心に寄与していることも間違いない。

 との記事を読む。一方で、同じブログの中で地域でのSNS活用に関わって
 > やはり地域での活用を考えると、「参加の障壁」がコミュニティの一体感を高める、という考え方は、当面は(ひょっとしたら永遠に)受け入れられそうにない・・・

 とも書いている。

 もともと、どんなコミュニティにも「参加の障壁」はあるわけで、だからこそコミュニティとして成立しているのではないだろうか。障壁の程度にもさまざまあるだろうし、参加してからの振る舞いとして求められるものも多様であることはもちろんとして。

 そうした、多様に「参加の障壁」をもったコミュニティが併存し、個人が一つのコミュニティにのみ属すのではなく、多様な参加障壁に幅のあるコミュニティに並行して、重複して所属している。
 コミュニティ自体も、その参加の障壁の度合いによって、個人を参加者と非参加者の2種に区分するだけでなく、濃淡のある偏心円を形成しているのだと思う。例えば、電子会議室を一つのコミュニティと考えた際のROMの位置取りとか。

 そう考えれば、多様なコミュニティ形成を可能とするプラットフォーム提供がなされている社会は、強靱であり、面白みもあると考えればいいのではないか。
 一人ひとりの個人が、せいぜい団栗の背比べで、裸で「全体」と対峙するという図は、あまりぞっとしない。気に入る服も、気がつけば着せられている服も、チクチクしてできれば脱ぎたい(脱ぐための算段をしている)服もあるだろうが、どの服を選ぼうか、どの服を着て世間を出歩こうかと、考える余地のある状況。服が一枚ではなく、いろいろにある状況。そうしたほうが、ずいぶんと生きやすそうだ。

 それを考えるとき、
> 「参加の障壁」がコミュニティの一体感を高める、という考え方は、当面は(ひょっとしたら永遠に)受け入れられそうにない

 とのtankのうろうろブログの記事は、諦念に過ぎると感じるのだが。

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eコミュニティしまだ記事2

 今朝の朝日新聞地域版にeコミュニティしまだの記事が掲載された。先日、取材を受けたもの。
 大きな扱いで、写真まで入っているのはご愛敬。取材された記者の方はWebにも詳しく、eコミュニティしまだ以外のことでも話が盛り上がった。
 ところで、記事中、「主役は個人ではなく、コミュニティー。」というのは、ファシズムとは言わないにしろ、没市民の集団主義的な印象。実のところ、これは、「eコミュニティしまだの活動は、電子会議室のような個人発信だけに任せてしまうものではなく、市民のエージェント(あるいは「集まり」)としての地域活動団体=コミュニティ・セルが基礎となる。」との意味。

 その点、私の対応の不十分さもあり、舌足らずな感じの表現で記されてしまった。

 エージェントである以上、地域活動団体=コミュニティ・セルは、主人(主権者)としての個々の市民に対して十分なアカウンタビリティを持つ必要がある。また、例えばeコミュニティしまだのような「しくみ」によって、地域活動団体=コミュニティ・セルが市民から「評価」されるという視点も重要だと考えている。

 また「市民の集まり」と捉えれば、個としては表現しきれないものを、相互に支援しあって表現し、活動するための基点となることへの納得も得られるだろう。
 コミュニティ・セルを少人数(5人程度をイメージ)にしているのも、そんな集団と個人の関係がよく見える状況で始めるという仕掛けでもある。

 その点を見過ごすと、eコミュニティしまだは、個々の市民の思いを無視した集団(さらにはそれを実質的に運営する者)の恣意による活動だけが重要で、個々の市民は置いてきぼりになってしまうと捉えられてしまうだろう。

 そんななか、たまたまではあるが、今日15日は、eコミュニティしまだ交流・講習会が島田市役所で開かれた。なかなかいい意見交換になったと思う。リアルに顔を合わせることで、直接的な関係づくり(なんとなく顔を知り合うにとどまらない、それぞれの参加者がもつ情報の付き合わせ、相互利用の可能性の確認)にもつながった。
 (そんなことで、今日のeコミュニティしまだには、妙にテスト投稿が多いのです^^;)

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ブレア政権の行政改革

 ここのところ引き続き「行政&ADP」のバックナンバーを読み継いでいる。9月号、11月号と連載がはじまった安章浩の「イギリス行政の変容と新しいガバナンス」が興味深い。
 従来、行政改革の王道はNPMであり、それはサッチャーを淵源とするという、単純な理解が行政の中に流布されていたと思う。
 それに対し、安は、ブレアの第三の道がサッチャー、メージャーのNPMを推進しつつ、そのうえにガバナンス概念を導入したものという点を明確にする。
 もちろん、私としても、コンパクトやローカルコンパクトに見る、サッチャーとは異なるブレアのガバナンス概念には注目していたところ。
 しかし、安は、alternativeとしてのブレアではなく、NPMの補完としてのブレアを説得力ある筆致で提示する。
 例えば
 「(それ以前のNPMにある)「アウトプット・サイド」へのアカウンタビリティのみならず、「ネットワーク」や「パートナーシップ」を重視した分権的な意思決定システムを目指し、民主主義をリニューアルし続けるといった「インプット・サイド」へのアカウンタビリティをも同時に強化することで、新しいガバナンスを模索する」
 という表現は、単にNPMを否定しての「次」をブレアが提示するのではなく、ブレア以前のNPMを明確に把握したうえでブレアが社会設計を提示していることを示す。
 言い換えれば、安が「成長の物語」としてブレアを把握していることを明らかにしていると考える。(このあたりは、後さん@名大などは既に言っているのだろうが)
 ガバナンス論は私の公共経営モデル、地域経営モデルにとっては極めて重要なものでもあり、これからの議論の進展に期待したい。

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藪、A'sへ

 Oaklandは、HudsonとMulderのトレードによって生じたローテーションのcrackを埋める作業を進めている。そして、今日、そのためのピースになる可能性をもったnative Japaneseの投手を手に入れた。
 藪をのぞくピースたち、競争者は、いずれも二十歳代中盤のピッチャーたちだ。
 藪がnative Japaneseであること以上に、経験とまだ残る可能性にかける思いを持つものとして、見守ってみたい。
 もちろん、Big UnitがYank'sにパワーピッチャーとして請われるMLBというフィールドでは、藪の年齢はまだこれからだとも考えられるが。
 ところで、パイオニア野茂は今年、どこで投げるのだろうか。
 また、若気の過ちにより日本には居られなくなった多田野がIndiansでどのようなパフォーマンスを示すのか。怪我から復帰する大家は。近鉄というチームにいたために十分な評価を得られず、近鉄ファンには当たり前ながら、今さらながらに活躍を驚かれる大塚は。
 田口はラルーサに気に入られて、準レギュラーとして地位を固められるのか。
 もちろんA'sは並はずれた高額所得者たちのいるアメリカンリーグのチームと、どのような方法で伍していくのか。Billy Beanのマジックは健在か。
 などなど、今年もMLBは気になる存在になりそうだ。

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『地域情報化の最前線』

 今から新幹線に乗るというときに、手許に読む本がないことに気づき、東京駅で購入した本。丸田一著『地域情報化の最前線』
 事例が中心なので読みやすく、するすると読んでしまった。文中に柳田公一氏、柵富雄氏など、直接存じ上げている方や、講演をうかがった方も多く、身近な印象もあった。
 特に「地域を変える知識生産工場」と題された第三章が面白かった。各章とも事例紹介だけに終わらず、その分析がしっかりと章末で行われているのだが、第三章ではネットコミュニティと地域プラットフォームを対比しての分析が整理され、興味深い。
 eコミュニティ島田でのコミュニティセルもまさに地域プラットフォーム、あるいはそのプラットフォームを利用した地域メディアとしての確立を図っているわけで、重なった問題認識だと考えている。

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イノセンス

 先日、DVDで「イノセンス」(押井守監督)を鑑賞。
 作品としては「攻殻機動隊」【人形遣い】よりインパクトが弱い。
 攻殻が「社会」とか「組織」とか、ある意味、相手にしやすいものをしっかり見据えて創られていたのに対し、イノセンスのストーリーのモチーフが「育てるとは」「存在しないとは」という、扱いにくいものになり、そのため十分に説得力ある形で把握できていないように見受けられる。
 あるいは、押井の通奏低音である「かなしみ」が深く沈み込みすぎ、凝ってしまうことで、流れとして感受できない。そのため、インパクトの弱さを感じるのかもしれない。
 もちろん、私の鈍りかけはじめている感受性が、その低音を聞き取りにくくさせているのかもしれないが。
 あわせて、押井によれば、イノセンスは「バディ・ムービー」(相棒映画)とのこと。しかし、その点はこなしきれていないように思われた。
 いずれにしろ、映像の煌びやかさは、どう見ても映画館で見る映画。その点、自宅で視聴した私のこの評価は、割引かれていることも確かだろう。

 ただ、巷で言われる「しゃべりすぎ」批判には組みしない。口数が多いとしても、それは作り手の不安が生んでしまう「説明」ではなく、「スタイル」であり「仕掛け」だから。当然、好き嫌いはあるとして。

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メディア的なもの

 新潟県中越地震について調査を行うプロジェクトに参加している。実際の調査検討はこれからだが、その事前意見交換の一つのため東京へでかけた。
 そのなかで、メディアが「拡張している」という認識を明確に意識した調査が必要だろうとあらためて思い当たった。
 具体的には、これから深めていくことになるが、ICTの力により、きわめて多様なアクターが「メディア」をもった状況。
 さらに、それを踏まえたとき、行政広報がどのような意味を持つのか。地域の情報が出会う場をプロモートする役割が求められているのか、いないのか。そのあたりが情報における官民連携の一つの結び目になるかもしれないと考えている。

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端正に

長男の絵が準特選で掲示されている浜松市動物園。家族で来ています。寒いなあ。
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企業とNPOの協働支援ポータル

 今日までのPSC合宿での主要な議論として、「企業とNPOの協働支援ポータルサイト」の運用があった。経済産業省からの委託事業に関わっての構築とのこと。
 基本的にはNPOと企業のマッチングのためのサイトとなるだろうが、こうした部分にもプラットフォーム及びSNS(ソーシャルネットワークサービス)の考え方は活用できるのではないか。
 ポータルサイト(及び、それを運営するPSCが)が「信頼を供与し」「(NPOと企業の間で異なる「言葉」の)通訳を行い」「マッチングによるコラボレーション事業のコーディネートというインセンティブを提供する」となれば、まさにプラットフォームの定義にも合致する。
 また、SNSから導かれる思考に次の可能性がある。
 サイト上での多くのNPOからの「他者紹介」の積層。それによる関係の発見が生まれ、さらに、格付けとは異なる市場的選択(自分にとって必要な良質材を購入するという選択)を支援する機能の提供。
 そうした考え方も可能だろう。
 時間切れで十分に議論は深められなかったが、具体的にも、理論的にも考えてみたい。

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安城

今日はパートナーシップ・サポートセンターの新年合宿。
デンソー安城荘にて、パートナーシップ大賞などの議論をします。
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ヴェブレン

 日本経済新聞の「やさしい経済学」で宇沢弘文の「社会的共通資本の時代」がはじまった。5日付けでは、ソースティン・ヴェブレンの「制度主義」を紹介し、「一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹された」経済制度は私たちの求めているものではないと確言する。
 普遍という魅惑の罠からどう逃れるのか。学とか知とかに関わろうとする人間は、この罠をどのように逃れたかで、その深さが測られるのかもしれない。
 「歴史的経路依存性」という言葉が連想される。私がやっと、この言葉に出会ったのは修士課程の時。そこから得たものは多い。
 社会的共通資本とソーシャル・キャピタルの関係についても興味深い。含む含まれるの関係か、生成の関係か。
 日経の記事配置としては宇沢の下欄にある「ゼミナール 産業文化力が拓く」(スタンフォード日本センター)とともに、今後に期待したい連載だ。

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岡坂さんの年賀状

岡坂さんがとてもいいblogを書いている。
年賀状代わりとのことだが
「災害情報とインターネット」なんて章は、私の研究にも重要な刺激になる。

「善意のメッセージが迷惑に変わるその瞬間」への技術的な解決として、<太刀打ちする技術のイメージは「情報ロンダリング」「情報洗濯機」>と書かれ、セマンティックウェブについても述べる。
確かにオリジナルではないにしろ、ここでそうした言及ができることは岡坂さんの力だろう。

一方で、私ができることは何か。
私はそうした岡坂さんの紹介する「太刀打ちする技術のイメージ」を前提にする。あるいは横目に見る。

そのうえで、そのような「情報ロンダリング」を受け入れる、可能にするプラットフォームのあり方=より人間くさい、政策的レベルまで含めたデザイン設計あたりを考えていくことになるのかもしれない。

実のところ、岡坂さんは既に、そのあたりは凌駕しているわけなのだろうが。

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NHK「大化改新」

 家事をしながらNHKの新春ドラマ「大化改新」を視聴。う~ん、ちょっとダメポ。とても矮小な「人間ドラマ」にしちゃってました。大杉漣、原田芳雄、渡辺篤郎、伊武雅刀、仲代達也、六平直政など、芸達者が出ているので、ちょっとだけ期待して、ちらちら見たのだが。
 大化改新という魅力のある素材。渡来仏教と土着宗教の関係、豪族体制と大王中心の持つ政治的な葛藤、唐・高句麗などとの国際関係などなど、いくらでも多層化させつつ、そのなかに翻弄されつつ、(歴史的、政治的)主体としても生きる人間という形で描けるはず。
 あるいは、別の切り口(例えば、メディアとして祝祭を読むとか…これは自分の研究に接近しすぎ^^;)を見つけてきて新しい発想を促す、刺激するってこともないし。
 蘇我入鹿を単に悪者にしないということで済むものでもないでしょ。中大兄皇子や中臣鎌足にしろ、それぞれの(歴史的、政治的、宗教的、国際的)背景がほとんど見えないし。とってつけたようなヤツはあるんですがね。

 なんか、無色透明な空間で動いている操り人形みたい。テーマは「友情と恋」なんですかね。(XoX)。それにしては徹底してないし。まいった。
 なんといっても脚本家の方がNHKのWebページで「鎌足と入鹿は仲の良い同級生だった。このフレーズだけで、このドラマの全体像が見えたような気がした。」って言っちゃってますから 「残念!」

 ところで、歴史考証をされていた人がエンドロールに出ていたんですが、あれってどういう考証なのか、素人としてはすごい疑問。化粧だって、(毎日綺麗に着替えている)服装だって、言葉だって、無色透明な現代劇だけど。

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検索エンジン

 前から気になっていたINTERNET Watch のWebサイトにある「そこが知りたい!検索エンジンの裏側」(著者はジェフ・ルート(Jeff Root))という連載を第1回から第43回まで通読する。
 GoogleとYahooとMSNの関係の裏話や広告連動のAdwordやAdsenseについての記述も面白い。
 が、それ以上に、いったん廃れたメタタグが再度、一定の注目を受けていること。それが地理感覚への訴求やローカル(店舗)検索などに利用される可能性などへの言及は、地域メディアや地域ポータルに関わって興味深い。
 地域限定の検索エンジンとしての利用とかにも思いが流れる。ペイするかという問題はもちろんあり、それを考えるのもまた一興であろうが。
 その他、視覚化やオープンソースによる検索エンジンなど、期待を概ね裏切らない内容だった。

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東海地震ドットネットお正月イベント

 あけましておめでとうございます。今年も、tacohのWebサイトをよろしくお願いします。
 さて、 「東海地震ドットネット」という私も関わっている災害情報ポータルで、情報受発信・共有の訓練のため、お正月情報をブログに掲載するという元日Webイベントをやっています。
 誰でも参加できますので、投稿要領を読んで参加してみてください。ケータイ+カメラからの情報入力がもっとも有意義だろうと思います。とはいえ、0時からしばらくは「おめでとうメール」でネットワークが混雑するでしょうから、夜が明けてからぐらいがいいかな。

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棒の如きもの

 大晦日の日本経済新聞「春秋」は高濱虚子の「去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの」を枕に書かれている。この句は、私にとっても20年来、年末、特に師走31日に口に出る句でもあった。
 春秋は、この棒に、「歴史の奔流」や「大自然の摂理」を充てている。
 だが私は、この「棒」に、そうした半ば他人事めいた「流れる」ものではなく、より冥く痼(しこ)ったものを感じている。
 自らのなかにある「冥さ」でもあり、毎日の、表面は穏やかな時間が孕む「危機(もとよりcrisis=岐路という意味を込めつつ)」とでも言うもの。
 来る年にも、そうした棒に貫かれつつも額を上げて一歩を大事に歩きたい。

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eコミュニティしまだ記事

eコミュニティしまだのキックオフイベントについて静岡新聞にこんな記事が出ていました。
説明不足で若干、事実誤認もあるけど、特に致命的なものではなく大枠としては伝えられていると思う。
中日新聞にも掲載されていました。産経新聞の記者さんも熱心に話を聞いてくれたけど、さすがにローカルの紙面が少ないので難しかったかな。

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インド洋地震・津波

とてつもないことが起きている。
マグニチュード9.0もものすごいが、何万という人間の命が一日でなくなってしまうような災害も、少なくとも、ずいぶん以前からなかったはずだ。

ニュース映像では、もうすぐそこに津波が来ているのに、緊迫感なく所在なげにしている人々が映っていた。
こうした状況を、危機意識の喪失とつなげることは、よくある話だが・・・。

情報というもののもつ「備えさせる力」、まさにリスクコミュニケーションということなのだろう。
日常の危機に対し鋭敏になりながら、その影に脅えて思考停止にならないためのチカラを。

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共有と共用

 島田eコミュニティ-プラットフォーム研究会が実証実験する「eコミュニティしまだ」のキックオフイベントを24日に控えて、集中的にポータル準備や資料作成を行った。ポータルについては担当の方々の協力が大なり。
 ポータルは2種類。各グループ(コミュニティ・セル)用のセル・ポータルと、各セル・ポータルからの情報が集められるとともに、管理人(私)がコメントしていくための共有ポータル。
 この共有ポータルは共通ポータルとも言っていたのだが、情報共有の意味を込めて「共有ポータル」と呼び慣わしてきた。
 そんななかで、ずっと「積ん読」になっていた「行政&ADP」の6月号を読む。連載の「知的資源マネジメントのすすめ」(小林史彦)に書かれていた「重要なことは単に文書・情報を『共有』することだけではなく、『共用』することである。」との文に突き当たる。
 今さらながらも、はたっと膝を打つという感。地域リソースの「共用」のためのポータルであるという意識が形になる。「共有・共用ポータル」として動きだすことができればと思っている。

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SNS

 熊本県八代市で、自治体としてはおそらくはじめてのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス:八代ではソーシャル・ネットワーキング・サイトと称す)をはじめている。
 島田eコミでもSNSをポータルに導入しようとした身としては、いささか興味あり。八代の「ごろっちやっちろ」への評価はこれからとして、SNS自体について、ほんのちょっとだけ考える。
 というのも、最近、地域メディア研究会での話題から、Greeに参加したところからの認識。
 前にOrkutやMixiにも参加しているのだが、招待されたとして、これは個から個へのご招待。それがGreeでは地域メディア研究会という「場」が契機となっている。このため、Greeでのネットワークは直ぐに広がった。すると、それ以外のネットワークでも、私を見つけてつながってくる。富めるものはますます富み、貧しきものは依然として貧し。
 リアルなネットワークを背景とするものの強さという意味では、バーチャルでの「強さ」がリアルなネットワーク背景とは別に存在した(と思われる)パソ通時代のフォーラムや、趣味系BBSとは、趣をことにするようにも感じる。
 このあたりは、再度、分析必要か。

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岡山と佐賀で

週末から週初にかけて、岡山と佐賀へ
岡山の電子町内会の取材と、佐賀では佐賀県CSO推進機構に招いていただいて災害情報を中心にNPOと行政の連携について話す機会を得た。
岡山市電子町内会については、実際に電子町内会を現場で運営されている方たちとの意見交換で、町内の情報交換、情報共有という機能以上に、重要ないろいろに気づくことができた。
地域に生きるってことの多面性をそのまま表現するんだよね。結局、ICTの力には「露呈力」っていうものも、あるのかもしれない。単に情報公開ということではなく、「地域にとって重要なことは何か」を露わにしていると感じた。
佐賀では、災害情報支援システム研究会を中心とした、民間災害情報の活用について。佐賀県は知事交代以来、ドラスティックな変化が起こっているとのこと。
佐賀県CSO推進機構の講演会を県庁内で開き、協働による情報活用についての話を、80人ぐらいもいた職員が聞くと言うこと自体で、その変化が感じ取れる。また講演に対し質問した幹部職員が、その評価を知事にすぐに伝えたという状況にも、意義を感じる。
「現場」ってホントに動いていて、ワクワクするね。

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豪華風

博多からの特急かもめは、外観、デッキ、車内の床、座席となかなか豪華風なのだが、この写真は撮り方が悪くて、なんだかよくわかりませんね。
しかし、このJR九州の線。九州新幹線でどうなるんでしょうか?

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いました

やはり「雉」を発見。

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岡山の猿クン

雉はどこだろう

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岡山の犬クン

西川緑道公園筋で

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札幌

慶應義塾大学SFC研究所eコミュニティプラットフォーム研究会の打ち合わせで札幌。市民情報センターの前は、いちめん、雪。黒く見える道路も凍っていて歩きにくい。
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ブログは情報を多層化する

あ~、一日空いてしまった。連続記録を密かに狙っていたのだが。
今週号の週刊アスキー歌田明弘は久しぶりに面白かった。とはいえ「プチ」だけど。
マスコミに関わる「個人」がブログを発信することで、マスコミ情報を多層化する試みへのエールと捉えればいいのだろう。
それ自体には賛成だし、面白そうだが。
しかし、それ以上に、従来、情報発信の簡易化、閾を低くする作用という点に注目を受けていたブログのもつ力を、「情報多層化作用」というところに求められそうな気づきに、自分自身、興味をもっている。

地域メディアということを考えるときにも、この発想=情報多層化ツールとしての地域メディアという発想は重要だね。今さらながらと言われてしまいそうだが。

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災害情報支援システム研究会

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日曜日、地域防災訓練ということで静岡市にでかける。情報ボランティアとしてtoukaijishin.netを実地訓練。翌日の朝日新聞にも掲載されたが、むしろ、投稿された情報を次々とプリントアウトして、板に貼ったもの(上の写真参照)が参加者の興味を惹いていた。
どのようにアナログとつなげていくのか。その発想が大事だなって再確認。
しかし、4年前に発想したタネが私から離れて、さまざまな人のちからで育っていくことの充実を感じる。今となっては、本当に小さなきっかけづくりにしか過ぎなかったが。とはいえ、「電子社会設計論」なんて、そういう意味なのかもしれない。

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京都研究会

SCCJ(日本サスティナブル・コミュニティ・センター)が主催する「第6回京都研究会」を聴講。
もともと、いちどは行きたいと思っていた研究会だが、思ったとおり、とてもインスパイアされる経験になった。

京都造形芸術大学の竹村真一さんには、私が志向している部分を、より深いところ、より現場に活かしたところ、より理論として明確になっているところで、教えてもらった。
尾道の「どこでも博物館」についても、単に観光案内ではなく、地域における、時間という縦軸(竹村氏は「ボーリング」と表現されていたが)や、文学や絵画などの横軸に外延していくものを包んでいる素晴らしさを教えられた。さらに京都の文化可視化の試みにも進展を見た。
これは、私が、ユビキタスネットワーク社会システム研究会で「地域エンパワメントへのユビキタス活用」と言っていることや、様々な場所で「地域の『物語』の掘り出し」と言っていることを、既に実現しているものとも考える。
では、そうしたなかで、どのように巨人の肩に乗り、自らの新しい点を提示できるかはまた課題になる。

また、期待していた國領氏の話は短い時間ではあったが、それでも触発されるところが多く、深いところで意義のある経験となった。

その他、みあこネットの活用としての北岡先生からの紹介のあった「どこカルねっと」のイメージ映像はインパクトがあった。これが「ユビキタス」ってことでしょと目の前に出された感じ。

今日の中身では、とても懇親会に出て意見交換という域に達していない感じもあり(今後の自分の立ち位置が流動している状況でもあり)、単なる聴講者として内的な経験にとどまった。ぜひ立ち位置が明確になった時点で、意見交換、適切な質問ができるようにしていきたい。

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CSR よき企業とは

 静岡総研での仕事のひとつである科学交流サロンで、企業の社会的責任<CSR>についての発表がある。
 私はあくまで事務局だが、その役得で傍聴。今までの上記サロンで、最も私の専門に近い分野であり興味深い。

 そのなかで、「では、よい企業とは何なのか。どう基準を決めるのか」という概略、そういった質問があった。
 講師の回答は回答として、私としては、「広義の買い手(=投資家、顧客、従業員、地域)が、それぞれの判断で「よい」と考えた企業が、その買い手にとっては個別的な意味で「よい」企業だろう」と考えている。これでは、社会的な評価が不能になるが、先の個別選好を(擬似)市場というシステムをもちいることで(ポイント)累積し、一定の社会評価につながるとの思い。これは、私のテーマである「政策協働市場」にもつながる発想。

 このときに課題となるものは多いが、今、あげるのは、情報の非対称性(スティグリッツ)と美人投票(ケインズ)。
 情報の非対称性については、市場管理者としての<編集者>、その一角を担い、適時適切に情報を提供する行政、IRRCに見られるような調査型、ドミニに見られるような評価型の、NPO・企業による「情報供給」が、意義をもつ。
 この際の「情報供給」のひとつとして、他者の選好の累積である「価格」が意味を持つ(ただし、政策協働市場や「よき企業」選定市場では、価格という収斂指数ではなく、選好ポイントのような開放系指数? のような「情報」になるはず)。
 この可能性を分析するのは社会情報学のアプローチでもあり、私の専門にもつながると考える。

 美人投票については、ここでの「よき企業」についての評価及び市場システムが、単一的な「価格形成」を意図するものではなく、個々の買い手の「選択」を支援するものと考えれば、自分が美人と思う企業ではなく、自分にとっては美人ではないがおそらく多くの他人が美人だと思う企業を選択する=そうしないと価格が下がり損害を被る という美人投票へのインセンティブはなく、市場システムが適切に機能する可能性は大きいのでは、と思う。

 いずれにしろ、今後の研究の留意点となるだろう。
 

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フリーペーパー

 今朝のNHK「まちかど情報室」(このコーナーは、凸凹あるとしても、私としては相当評価高いです)でフリーペーパーを特集。地域メディアとしては結構、既に注目されている分野でもあり。

 そのうえで、行政の広報紙って実は究極のフリーペーパーだったりする(もちろん税金を払っているんだけど、その場では支払ないという意味で)。しかし、今日、紹介されたフリーペーパーに比べインパクトってない。

 なぜだろうって考えたときに、それは対象が「市民」だからじゃないかと思った。ほとんど顔の見えない状況の「市民」相手に、どんなメディア展開をしようって考えても、的確なもにのはならんでしょう。
 一方でフリーペーパーの成功は対象のセグメント。35歳から40歳のビジネスマン とか、子どものいる若年女性とか。ところが行政広報は相手が「市民」なんだ。

 じゃ、おもしろくなくても仕方ないや、なのか。そうじゃなくて、それならセグメントしようよってのもありだと思う。もちろん届かない層があっては困るということなら、対象をしっかり見極めて、専門性のある代理店を噛ませるか、NPOを媒介にして、それぞれにメディア展開する。費用がかかるって言うなら、広告載せたっていいんじゃない? 実際、市川市なんてWebページに広告バナー募集しているし。
 行政が発行責任もって、しかも対象がセグメントされていれば、乗ってくるクライアントはいるかも。

 フリーペーパーといえばThe Big Issue にも興味有り。ホームレスが販売する雑誌。先日、銀座で購入。雑誌自体も面白かった。対象のセグメントではなく、売り子のセグメント。これも凄いね。この発想を自分の研究にどう活かす。
 なんかありそう。

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MCF総会記念セミナー

月が変わると、なんとかblogを書こうと思うのだが、忙しさにかまけて結局は果たせないことが続いているが・・・。

MCF(モバイル・コンテンツ・フォーラム)の総会記念セミナーに招待されて伺う。MCFがインプレスと発刊する『ケータイ白書2005』の項目執筆をしている縁だと思うが、触発されることの多いセミナーで有意義。

ただ、公共利用を専門とする私としては、若年人口の減少、中高年齢層の増大というマーケットの変容が気になる。この点ををモバイルコンテンツ業界としてどう見るのかについては特にコメントはなかった。

これについては、モバイルコンテンツとしては外れ気味のツーカーが出した「ツーカーS」=「通話のみの"かんたんケータイ"」が人気とのこと
これが主流になるのであれば、中高年齢層はモバイルコンテンツのマーケットではないということか。

ただ、ケータイECについて、定額制を背景とした商品説明の詳細さも寄与してか、40歳以上の利用が増えているとのコメントには注目した。しかし、この発言も、人口構造の変化との関連で触れられたものではない。

本来であれば、このあたり、会場で質問すべきだった。タイミングを失してしまったのが残念。

(その後の連携を含め、)質問してナンボのはずなのにちょっと消極的な感じが、ここのところあるので注意。

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日経新聞から

8日の日経の記事、「顧客からの電子メール、企業の対応調査・評価」というもの。行政も、こんな形で外部評価してもらえばいいはず。やってるのかなぁ。勉強不足です。

また、「新小型車の紹介ネットドラマで」という記事も、専門柄、行政(やNPO)のWebページを思ってしまう。
先日には、自治体Webページが実は相当閲覧されているとの調査報告もある。とすれば、自治体ホームページを地域広告メディアとしようという発想も自然だろう。実際にも千葉県市川市ではバナー広告を募集しているが、バナーという形ではなく、ネットドラマというような、より積極的な広告もありかも。静岡県でやっていたデジタルレポーターという地域の動画紹介を1ランクアップさせるとか。この時、企業だけではない「地域の広告」という視点をどう考えるか。ブランド論とも関わって、単に自治体Webページに企業広告載せればいいということではないだろう。

さらに、同じ8日の紙面にはWeb広告研究会調査として、自社のホームページについて「回答企業の85%が商品情報の提供手段として役立っている」との結果が報道されている。が、むしろ、残りの15%が、どういう意図でホームページを運営しているか気になる。商品情報の提供をもともとしていないのか。役立っていないものをコストをかけて維持しているとも考えられない。商品情報の提供ではない形の多様なWebページの活用はあり得るが、具体的にどのようなものを企業が採用しているのか。このWeb広告研究会調査、追ってみてもいいかも。

その他、いくつか、考えを詰めていきたいのだがさすがに時間不足。

『社会科学のリサーチデザイン』勁草書房 読了。若き頃に学問的「徒弟奉公」を経ていない私にとって有意。ただ推論としての社会科学研究に加え、設計・デザインとしての社会科学研究までは届いていないようにも思う。もちろん因果的推論のないままでは設計・デザインも独りよがりではある。

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ブログと豆の木

新潟県中越地震に関わって、ブログ由来のスパムメールが、話題になっている。
この考察は、明日以降に行いたいが、今日のところは「アンネの日記」と「ジャックと豆の木」の話として考えてみる。

「たかがブログ、されどブログ」というような決めゼリフで言われるような
ブログはただの個人日記みたいなもの※なのに、今は、それがメディアになっているという話。
それが、極めて現在的な現象だというような感覚。

しかし、例えば「アンネの日記」について考えれば、アンネ・フランクは戦時下で日記を書いているという思いしかなかっただろう。それが、時間を超えて、今の世界でメディアとして出版され、劇化されている。アンネに限らず、江戸期の日記が単に資料としてではなくテレビドラマになった例もあるはず。
こうしたメディアとなった日記の例に依れば、ブログがメディアとなることは、別に現在的な現象とは言いきれない。
本質的な違いがあるわけではないと断ずることも可能だろう。
メディアが個から発することは通時的な現象であったといってもいい。

一方で、本質的な違いがないというものの、同じ豆の木でもジャックが撒いた豆から生えた木は、とてつもない大きさになって、空高く伸び上がり、鬼の世界にまで届いてしまった。
時を超えることでメディアとなりえることのあった日記が、ICTの力により、時を超えずとも空間を超えてメディアとなる。
そういう捉え方もあるだろうと考える。

「「空前」の話ではない」と言う謙虚さを、「現在」を考えるアンカーとする。
「現在」がもたらしている(広がりの)「サイズ」の違いに思いを届かせ、ICTを本質とは無縁なツールであるとして看過せず、その力を十分に分析する。

そうした「通時」と「瞬間」の十字路として、今を分析・設計する、そんな研究態度がここでも必要なのだろうと、さわさわと思う。

※ただし、ブログがUSAなどで喧伝されはじめた当時、日記というイメージより、戦争の状況を現地からリアルに発信するような、直接的に「メディア」を志向していたものとして覚えている。

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今日は田臥

田臥、見ました。しかし、あのNBAに日本人選手が出場するとはねぇ。
しかも、フリースロー4/4に3Pを決め、PGらしくアシストも1。アシストも、結構いいパス出していたから、まわりがもうちょっと巧く決めてくれれば、あと2,3は増えたと思える出来。もちろん、そのあとちょっとがナッシュとの違いではあるんだろうけど。
一時期、NBAを相当見ていた頃があった。10年ぐらい前かな。ジョーダンやピペン、カークライトなどのいたシカゴがもちろん気にしていたチームだけど、その他でもBSはよくつけていた。そういえば、今日のBS中継で解説者席に3Pシューターのマレーがいた。
横浜のNBA開幕戦も見に行ったっけ。ショーン・ブラッドリーは76ersだったか。
その後も時々気にしてチャンネルを合わせたりしてたんだけど、最近のセンター勝負のゲームは今ひとつって感じ。
でも、その頃、日本人がNBAの舞台に立つとは思わなかった。MLBも野茂までは(マッシー村上を除けば)未知の領域だったわけだけど、まだ「ありうる」感じ。
サイズの問題(縦だけじゃなく横も)からも、ちょっと考えなかったなぁ。
しかし、田臥、かっこよかった。パンツの紐を直しながらの初登場ってのもすかしてたけど。
ブッシュもあるけど、今日は田臥。

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楽天

結局、楽天でした。
ライブドアは、近鉄のコーチ陣をスタッフ採用し、阿波野の頃のピッチングコーチ権藤さんを迎え と旧近鉄ファンにとっては親近感のあるチーム作りだったので残念。
客観的に考えれば楽天でしょうが、美味しいとわかってから出てきてさらっていくという印象は拭いきれないね。
やっぱ、球界の偉いさんにノーネクタイがまずかったというのが最大の理由だったりして。
ますます、日本のプロ野球には贔屓チームがいなくなったなぁ

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島田eコミュニティ

島田市で、コミュニティセルが活用する、ポータルというかウェブページの利用講習会。
技術の方と実際のセルメンバーの間で「取り持ち」みたいなことや「翻訳」みたいなことを行った。エディターとまでは言わないが、それを意識した動き。
だいぶポータルのイメージも固まってきたので、使い勝手も見えてきたと思う。
午後から2回の講習会で20人ほどが参加。なかなか熱心にPCに向かってくれたのではないか。
技術の方が臨機応変にxoopsを書き換えてくれるので、それもセルメンバー=受講者の反応がよかった理由と思われる。
このコミュニティセルポータルや、セルを跨りつつ掲示板やFAQなどを利用できる共有ポータルが、地域メディアとして小さいながら集まり、大きな意味のあるメディアとなる可能性もあると考える。もちろんメディア=伝達にとどまらず、メディア=媒介として。
そのためにも、多様な意味での実験デザイン、活用デザインのエディティングが必要だろう。具体的な「イベント」などを継続して行うことによる、ポータルへの意識寄せなどを考えている。
島田にとどまらず、別の地域での実施による比較なども必要。
これらを通して、研究としては慎重なアンケート設計等をも基にした、単に「記述」にとどまらない、セル、セルポータルの存在による地域力付与の可能性といったところへの「推論」レベルまでもっていくことができるかが課題であると考えている。
地域力というキーワードは地域における「政策協働市場」にもつながる(セルが政策協働市場の参加者になり、地域をエンパワメントするという点もあるが、より広く考えれば、多様な「媒介場」が存在することが地域力の源とも言えるのではないか。)
また、上記のメディア設定は、「分析」、「推論」にとどまらない具体的な「設計」ということにもつながる研究になると考えている。
以上、大口をたたいてみたので、動かなくてはね。

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そういえば神無月

振り返ってみれば、9月から先月は相当多くの原稿を書いたことになる。
出版予定のあるもので脱稿したもの(電子自治体関連)が1本、二稿まで提出(ケータイ関連)が1本。
民間白書の項目執筆了(ケータイ関連)が1本。
学会発表概要(情報の信頼性に関わって)が1本、発表用論文(コミュニティセル)が1本
生涯学習系の大会でのパネルディスカッションの資料冊子(ユビキタス)に1本。
NPO関連のルポ(出版用)の最終稿は9月だったか?、その他、いくつか資料もあり。
ブログが滞った理由でもないのですが・・・
しっかり入力していかなくては。醗酵させていく時間と「ベット」が重要。
その意味で、ブログは「ベット」のひとつになりうるはずなので。

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霜月はじまる

今日から11月。先月、個人的には底流ながら急速な流れが生まれた月だった。
振り返れば、トピックとなる月になるのかもしれない。
それが、台風23号被害、新潟県中越地震、イラクでの初めての日本人人質殺害の月にあたった。
災害時にケータイがどのように意味を持ったのか(少なくともパケットは生きたとの報道)、地域メディアがどのように有意義だったのか、NPOの持った意味や、災害情報支援システム研究会や、ユビキタスネットワーク社会システム研究会での議論が地に足のついたものなのかの検証をしっかりと行いたい。今の生活では十分な時間を割くことは必ずしも容易ではないが、表面的に「あんなことがあった。こんなことが報じられた。」では研究者でもあれば、あまりに侘びしいだろう。
イラクでの香田さん殺害の報道における扱いの小ささに、逆に驚く。イラクで人質となった人間が殺害されることは既に日常であり、それが偶々日本人であったとの受け止めでもあるのだろうか。
「日常のもっている裂け目」という言葉は、実は危機を孕み、いつ、その危機に陥るのかわからない として使われるのだろうが、むしろ「日常という布は、裂けた布をもういちど織りあわせて、形としている。その布をまとうことで、私は暮らしている」という印象を持つ。「裂けた布」に思いを致す。
また、ダイエーの再生機構活用受諾も印象に深い。西武の堤氏の蹉跌も、この月。怖ろしい月だった。
一方で、日本のプロ野球ではドラゴンズが敗れ、MLBではBosoxがチャンピオンになったのも、10月。
これらは毎年のこととはいえ、年毎に役者は異なる。
実は10月という月は、なかなかに一筋縄ではいかない月なのだとあらためて認識する。中間決算をこの月に締める企業人にとっては今さらの感慨でもあろうが。

そして霜月11月がはじまる。踏みとどまりつつ、そのうえで進むことを心して。

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「メディアと公共性の原理の現在」水島久光

水島久光さんの上記論文を読む。
公共圏のもつダイナミクスや、合意機能だけではない交換を含めた「多層的な記号過程」としての公共圏理解。「「喪失-回復」という古典的な疎外論モデル」ではない、その都度の成立への注目。など興味深い。
大げさに言えば、ハバーマスを乗り越えつつ救い出す試みか。
自分の研究に引きつけて言えば、上記の「多層的な記号過程」のうちに、「評価の機能」がどのように含まれるか、摘出する必要もあるだろう。

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位置情報を活用したコミュニティソリューション

今日の静岡新聞にこんな記事
県の地理情報システム 利用促進へ大幅改定 来月

これの初期バージョンを企画したのが私でして。
つまり、利用が進んでいないシステムを導入してしまったわけ。

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電子社会設計論/地域情報学

 今日、「で、tacohさんの専門は」と聞かれて、ちょっと口ごもる。
 情報科学研究科の博士後期にいる以上、「情報科学」が専門みたいだが、システムのことは、あまりわかっていない。プログラミングもほとんどできないし。
 一方でNPOをきっかけとする、地域のガバナンス構造に強い興味があり、実践もある。

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