tankさんからトラックバックもらいました。(^o^)/
で、tankさんは
>「官」あるいは統治機構 (中略)がいつの間にか、人間(市民?)と対立的な存在に転化していく。
と書かれています。
でも、これって、いくつかオブジェクション
まず、官と統治機構って違うんじゃないかなぁ。横並びにしちゃうところから、議論が逸れるような。
統治機構ってつまり、ガバナンスのシステムってことだと思うんだけど。
ということなら、市民社会の統治機構は、市民を主人公にして、代理人の行政(官)と非営利組織と企業が評価したり、競争したり、負託したりして、できていると思う (こんなことばっかり言っているんだけど ^^;)
で、そうなれば、官は市民と「対立」ではなくて、官がアカウンタビリティを十分に果たしていないってだけなんじゃない?
官と市民を同じ資格の主体と並べるから、「対立」構造みたいな整理の仕方になる。新聞なんかもよくあるけど。
「対立」なんて立派なことじゃなくて、単に「官」がよく働いているか、働いていないかに過ぎないとも思う。
働いていないのに費用(=税)を徴収し、説明ないところに権限なしにも関わらず偽装した権限によって、本来の主人である市民に制約を加える
一方で、市民=主人の側も、代理人=官が「自分だけの」代理人だと勘違いするところから、いささかいかがかという行動に出ることもあり。
ということで、tankさんの
> 役所(官)がお膳立てする市民社会って、理屈として成立するんだろうか?
には、「お膳立て」って言葉のバイアスに気をつける必要があるけど
十分あるでしょ。
さっきまでの意見で、市民社会によって官が「お膳立て」されていることは明確だと思うけど、一方で官が市民社会の一角を担うことも、その帰結。
非営利組織がお膳立てする市民社会(の部分)もあるし。
企業がお膳立てする市民社会(の部分)もあるし。
市民自体がお膳立てする市民社会もある。
で、官がお膳立てする市民社会(の部分)もある。
そのお膳立てが、多様な意味で上手なのか下手なのかによって、選ばれたり、選ばれなかったりする。
非営利組織・企業・官の間での選択もあるし。たとえば官内部の選択もある。(具体的には首長の選挙、この線で考えられないかな)
お膳立てという言葉からはプラットフォームという考え方も導けるよね。プラットフォームは、共通言語と信頼感と参加の誘引を備えた場所。
どの「代理人」が、市民社会のプラットフォームを作れるのか。
もちろん、セクターという言葉を使えば、官のもつ正統化機能を見過ごしてはいけないけど、その他の代理人だってそれぞれにプラットフォームを作れると思う。官も「ひとつ」だけじゃないんだし。(このあたりは、ローカルマニフェストの議論にもつながるかな)
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